高知を散策するなら、是非あの伝説の優勝校・伊野商業を訪ねてみたいと、思っていた…。
正門近くに鎮座す優勝記念石碑
伊野商業続く限り、永遠の『誇り』だろう。
インディゴソックスとの練習試合が長すぎたので、予定を繰り上げ伊野商業を訪問しました!
(我が母校も120年を超す歴史で3回甲子園出場していて30年周期説ありましたが、もう50年周期になりそうな有り様…目の黒いうちの出場はムリでしょう(ToT))
伝説の、そして幻の優勝校
(出所:高知新聞社 note )
清原・桑田を擁したPL学園。
清原桑田が激戦区大阪を勝ち抜き5回フル出場したのも凄いが、その最強・PL学園の優勝を、一介の無名の初出場校が阻み、そのまま頂点へ駆け上った姿は、正に同世代としてTV中継に齧り付きながら驚愕した。
(出所:高知新聞社 note )
後にも先にも甲子園の試合で受けた人生最大の衝撃は、伊野商業の奇跡、いや、渡辺智男という、一人のバケモノが繰り広げた偉業と言えるだろう。(最強・池田高校を清原桑田の1年生コンビが完膚なきまでに倒した驚きを塗り替えた)
あの清原がバットに当てる事すら出来ずに、空振りを繰り返し3三振を喫する姿❢
その後の清原のプロでのいきなりの活躍を見ると、もしかしたらプロにさえ、智男を上回る速球を投げる投手はいなかったのではないか?
多分、対抗出来たのはオリエント・エクスプレス、郭泰源くらいだったろう。
そんな凄い投手が、ケガの不安が付き纏いスターダムから消えていった。。。
(高知には、もう一人の傑物投手・中山がいて、夏は輝いたが、その中山ですら清原には記録級の特大弾を甲子園本番で浴びている。)
清原のプロでの活躍のみが、燦然と輝き続ける中、突如としてライオンズがドラフト1位指名で、この逸材を指名したのには、また驚くと共に、本当に嬉しかった!
然し、プロでの輝きは一瞬。
ケガは智男について周り、結局は、その能力を安定的に発揮出来る時間は残酷な迄に短かかった。
2009年ライオンズクラッシック始球式の一コマ。あの甲子園以来の同級生対決?
然し、67年68年組は佐々木主税もいるし、凄い世代だ…。
それでもライオンズファミリーとして、今でもライオンズに関わり続けてくれている渡辺智男。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%99%BA%E7%94%B7
(出所:週間ベースボール)
スカウトとして奔走!56歳、まだまだ働き盛り。愛する野球に関わり続けられるのは羨ましいですよね
彼の凄さを理解し、心底惚れ込んでいたファンは少なくないだろう。
(渡辺智男が練習に明け暮れた?グラウンド。何の変哲もない公立校の施設そのものです。圧倒的な才能は環境を乗り越えていく。。。)
90年の伝説の日本シリーズ🆚巨人ヨンタテ。
岡崎郁夫をして『野球観を変える出来事』と言わしめたのは、渡辺智男の存在が大きかったのではないかと個人的に思っている。
https://youtu.be/W1lGpePN1gE?si=OB_JIL8qtKkMKzIZ
連敗を喫した後、三番目に出てきた投手が、一番凄い球を投げる。巨人の誇る3本柱で甲子園の星・桑田と投げ合い、またもや大舞台で勝ち切る力。
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2024/02/06/pl/
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2024/02/06/post_28/
台湾の嘉義農林はKANOとして映画化されたが、伊野商業と渡辺智男が完走した暑い春は、プロ入り後チームメイトとなる清原との絡みなどを併せて、INO😁として『映画化』したら面白いテーマだと思う。。。