ありがとう平成の怪物(後編:レクイエム)
WBCの輝き
燦然と輝くWBC二大会連続・MVP(2005&2008)
第一回はライオンズから、第二回はボストン・レッドソックスから。
今後も人類の歴史と共に刻まれていく野球史の中にあって、安定的に開かれるガチの世界大会の連覇というのもレアだろうし、ましてや連続MVPなんていうのも、私が生きているうちは恐らく見る事もないだろう…。
図らずも今年引退を決め既に最終ピッチ&引退セレモニーを終えたもう一人の持っている男、斎藤佑樹は自ら「持ってはいなかった」と心情を吐露した。
実力だけでは説明しきれない
「持っている男」
の真骨頂だろう。
第一回(2006年)
松坂の活躍も凄かったのだけど、王監督以下、申し分のない役者が揃いその他のエピソードもありすぎて、日本野球史上不朽の名作ドラマと言えるこの大会で、地味に優勝への下地と王手を差した松坂大輔のピッチングの輝き。
ライオンズ時代は、日本を離れていた事もあり、大して個人的に強い印象と愛着を持ってませんでしたが、この日の丸🇯🇵を背負って、気負わず淡々と持てる実力を出す漢の頼もしさは、上原も大いに見直した大会でしたが、「器が違う」まさにメジャー・リーグを見据え躍動する、ダイスケショータイム。
この大会、当に筋書きのないドラマ。
(この猛抗議も野球史に残るシーン)
ハリウッド映画を凌ぐ「地の利なく、天の利にも見放され」「人事を尽くす事によって最後に勝利の栄冠を手繰り寄せた」類稀なるベースボールの神の存在を信じるに足るスケールの大会でしたね。
男達の熱い団結。
DVDに収録されていたチームの解散シーン(大塚とイチローがそれぞれメジャーリーガーとして皆から別れていく)に、何故か、映画・アンタッチャブルのエンディングの清々しさを感じました…。大事を終えた男達が、それぞれの新たなミッションに戻っていく。
この激闘で松坂を指揮した王会長は
「甲子園、西武で活躍し、そしてアメリカでも活躍してね。常に頭抜けたピッチングをしていました。第1回WBCでも、日本のために頑張ってくれてMVPになり、本当に記憶に残るすごいピッチャーでした。第2の人生でも大いに活躍してください」
(出所: Full Count)
という、イチローと並ぶ功労者の労を労らいつつ、最大限の賛辞を贈った。
世界の王がこれだけ両手放しで褒めるのも珍しいですよね。
第二回(2009年)
第一回はメジャーへの名刺代わりという、意味もあったろう。それでも第二回はボストン・レッドソックスの押しも押されもせぬスターターの一人として、レギュラーシーズンを優先・尊重して「辞退」も当然かも知れない選択肢だったと思う。
しかし、この漢は日の丸🇯🇵を背負う事を選ぶ❗️大リーグへの道は拓け、あとはそこに集中するという選択肢もあったのに。
日本球界、日本の為に戦う選択をしてくれた。
それだけでも感謝なのに、三戦3勝の期待通りの活躍。MVPの納得感は前回よりも増した感が個人的にはする。
これは感動❣️
岩隈、杉内と素晴らしい活躍をみせた。
本当に第一回大会同様、スリル満点の痺れるゲームが続く中で。
WBC二大会連続MVPの金字塔は打ち立てたが、その代償は安くはなかったようだ…。
当時のレッドソックス、フランコナー監督は「WBCは投手にとって最悪だ。マイク・ティムリン(レッドソックスの救援投手)も調整に失敗した」と語ったそうだが、この年はまさかの4勝止まり。以後、2けた勝利を記録することなく5年契約を満了しレッドソックスファンの記憶にも記録にも残るプレーヤーにはなれなかった。
WBCを避け続けた松井秀樹がヤンキースの歴史に残るプレーヤーの一人になったのと好対照で…。
不祥・不芳のトラックレコード
松坂礼賛だけではなく、数々の負の側面も記載して、バランスを取っておこう。
未免許運転書類送検&黒岩広報課長身代わり出頭問題
(出所: Jiji com)
ハタチの夜に無免許運転でも倫世ちゃんに逢いたかった…。
当に若気の至り、ですね。
路駐を繰り返し免停になってしまう所も懲りない性格と法令遵守意識の欠如、そして無免許運転迄して同じ事を繰り返してミソがついてしまう無計画ぶり…。
天真爛漫というか無邪気というか、おバカというか…。
球団の対応もまさにこれ以上はない‼️という位のダメダメぶり。忖度なのか堤御大からの天の声なのか、松坂の汚点であり西武ライオンズが血の教訓としなければならない不祥事でしたね。
そして、中日時代のリハビリ期間中のゴルフ問題と、この人の能天気ぶりは、何歳になっても根っこで変わらないんだと
怪物とはこういうところも含めて、常人(並みの野球選手)のスケールに収まりきらない事と定義して終わりたい。